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アクティブラーニング入門 感想

 

 

アクティブラーニング入門 小林昭文先生著


4月。昨年度やってみた反転授業にしっくりくる感じがなく、新たな授業形態を模索している時に知った「アクティブラーニング」という言葉。ネットで検索して見つけた本を買いに書店へ行ったときに見つけたこの本。小林先生の名前も知らず、薄くて実用的な内容であることにひかれて、当初買う予定だったなかなか分厚い理論書ではなくこちらを購入。

帰宅途中の車内で読破。まず浮かんだ感想は
「こんなものでいいのか」
誤解があれば困るので補足しますが、「なあんだ」という上からの意味ではなく、こんなシンプルな方法でいいのかと唖然とした、という意味。

実は、前年度の幾何の授業で気になることがあった。数研出版の体系数学1幾何は後半合同の証明問題のオンパレードになる。前々から中程度の学力の中学生が証明を書きあげるのは非常に難しいと感じていた。なんとかしてその感覚を身につけてもらえないだろうか、と考え、次のように授業を組み立てた。
①グループワーク
②証明の流れと証明を切り離す
③証明の流れの細分化
 1.図の確認
 2.仮定、結論(+裏結論)の確認
 3.合同条件のピックアップ
④発表
⑤1問ずつ進まない。12問ほどを1かたまりとし、図の確認、仮定、結論の確認、合同条件のピックアップを同時に行う。

これで、少なくとも同じ問題に時間をおいて4回ほど目を通すことになる。
(裏結論というのは、例えば問題が「2辺の長さが等しいことを証明せよ」だったとすると、その前に2つの三角形の合同を証明したりする問題がよくある。この三角形の合同の証明が「裏結論」。いいネーミングが思いつかなかった。隠れ結論の方がよかったかな?数学で使う「裏」とはニュアンスが違うので)もっとも、定期考査で証明を全員が書けるようにはなっていなかった。でも、この手法を採っていなかったクラスと平均点が10点近く違った。点差がついたのは証明部分に限ったものではなく、全体的に1~2点高く、総合で10点近い差になっていた(もっとも、考査の問題は自分が作ったので、その影響もあるかもしれない点は忘れていない。ただ、問題を考慮して演習や話をした記憶は一切ない)

その記憶が、小林先生がキャリア教育に取り組み、ワークシートによるグループワークの有効性から、物理の授業での居眠り防止と知識習得に応用したと書いておられた部分を読んで蘇ってきた。あの点差の意味はこれではないか、と感じた。

そして、とにかくやってみた。
できるだけ本に書いてあることに忠実に。
人というのは、とかくなにかを付け足そうとする。自分ならもっとうまくできるのではないか、と思うのだろうか。自分の経験上、そういう付け足しや我流の大部分は「蛇足」にしかならないと感じている。
例えば、まあまあ定着した感のある「朝読」。朝読を考案された先生は、朝10分静かに読書させることで、本に慣れ親しませ、落ち着いてその日を過ごせるようにということを目的に考案された。そして明確に「読書記録はつけない」とある。書きたければ書けばいい。ところが、多くの学校で朝読を導入した場合、読書なので担当は国語科となる。国語科の教員は「読みっぱなしはだめ。記録を書かせればより効果があがる」と読書記録をつけさせようとする(実話である。1件は反対してやめてもらった)。そういう目的ならいいのだが、そもそも朝読の目的にはそこにないので、朝読が面倒だと感じる生徒が現れることになる。枝葉の思いつきを付け加えることで本来の目的が薄まる。
だから、できるだけ書いてあるとおりにする。考案者はフロントランナーとして多くの試行錯誤をしたはず。その上でできあがったシステムなら、まずはそれに習うべきだと考えるからだ。

そして、やってみた。
すると、本に書いてあるとおりになった。
予感がなかったわけではないが、生徒の様子は想像以上だった。


ここまで、何度読み返したかわからない。

授業を行い、本を読み返せば、ますます自分の知識不足が露呈してくる。小林先生が学習されたというカウンセリングやアクションラーニングの理論や技術など、より実践を積もうと思えばその必要性がどうしても高まってくる。それと同時に、それらの知識をまとめあげ、これだけシンプルで実用性の高い技術にまとめあげられた小林先生の凄さを感じずにはいられなくな
る。

小林先生はアクティブラーニングを「あらゆる能動的な学習」だと捉えられている。やってみて感じたことは、この方法にすぐに順応して活動しはじめる生徒と、なかなかなじめない生徒がいるということ。すぐに立ち歩いて活動する生徒がいると思えば、一人で取り組んでいる生徒もいる。わからない問題に対して「なんとかしなきゃ」という生徒と「先生が教えてくれな
い」と不満げに座っている生徒と。隣に友達がいるのに手を挙げて教員を呼ぶ生徒。能動的な学習の原因が高い興味関心の場合もあれば、この「なんとかしなきゃ」という危機感の場合もある。総じて「自分で動かなければ」という姿勢を育てるために大切な感覚だと思われる。
初期の頃には、本にある通り、グループ別個別ティーチングとなる場面も多々あった。友達に聞くより教師に聞こうとする。ねばり強くそれをかわしていると、あきらめて生徒間の活動となってくる。ただし、家庭で「先生が教えてくれない」とそこだけ取り出して申し立てている生徒も少なからずいる。ねばり強く説明し、能動的な活動に慣れさせるしかないなと思った。
また、教師には「全然わかりません」と質問しても「どこがわからない?」と丁寧に返してもらえるのだが、友達にそう尋ねると「そんなこといわれてもこっちがわからない」と返されて、改めて質問の内容を考え直している生徒がいた。教師が何度言っても改まらなかった質問の姿勢が、わずが数秒で正されるとは、と感心した。

具体的な手法は、「説明15分+演習35分+振り返り15分」とある。そして、板書時間を0にするために、板書は全て配布、プロジェクターで映し出し、ノートもこちらからはとらせない。自分は例題をしっかり写してこそ、と思ってやってきたが、演習問題をやれば例題通りの解答ができあがるように問題設定すれば、そんなもの必要がないことに気づき、あっさり「小林流」に移行。
そして、小林先生が非常に重要視される、「振り返り」。これまで、あまり振り返りに重要性を見いだしていなかった。生徒の振り返りなど、教師の顔色をみて通り一遍の形式的なことしか書いてこないから(自分も提出書類にそのような論調で書いていることがままある。面倒くさいし、その振り返る活動自体にあまり重要性を見いだせないから)今でも完全にその認識を拭うことはできていない。振り返りシートも書かせてはいるが、あまり内容がかんばしくない。毎回だと書くことがなくなってきた、というような生徒も見受けられる。それでも、気づきを書いてくれる生徒もぼちぼち見受けられる。もちろん毎回というわけではないが、時折鋭い内容の時がある。少しでもそういうことがあるなら、振り返りも意味があるのか、と思い直し、演習を削ってでも振り返りの時間を取っている。
また、小林先生は振り返り用リフレクションカードをA4両面罫線のみを印刷した紙にABCの内容でフリーに書かせている、とある。すぐに思いつくのは、項目を用意してチェックを入れさせたり、細かに質問したりする方式。間違いなく小林先生もそんなことはお考えになったであろうが、「二転三転してこの形式になった」とある。その理由は記載されていないが、生徒からフリーの形式を希望されたのではないかと推察している。是非直に質問したい内容である。

現在、悩み、研究している部分は
①説明の時間の短縮、タイムコントロール
②演習問題の選び方、配列の仕方
一時期、向山型数学を研究していたので、非常に気をつけてきた部分であり、その経験が非常に役に立っていると感じる。ただし、まだまだ不十分である。特に、演習問題については授業全体を司るので、非常に気を使っている。


小林先生は授業の目的を「科学者になる」としておられる。自分の担当科目である数学だと「数学者になる」ということになるのだろうか。だが、数学の研究では個人の力が大きいと聞いている。abc予想を証明した望月教授や、フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ教授など。一概にチームで、とは言いにくいようだ。なので、自分の授業ではそこには触れていない。あくまで問題解決にはチームの力が必要な時代だから、というアプローチのみにしている。


アクティブラーニングの研修会は4段階と書かれている。
①入門
②技術向上
③組織開発
④アクションラーニング研修
まだわずか入門しか(しかも本のみ)触れていない。授業を行えば出てくる疑問に対応すべく、さらなる研修・研究・実践が必要となることに嫌でも気づくことになる。
アクティブラーニングを行った時に見られる生徒の動きは、上越教育大学の西川純先生の学び合いに関する研究が非常に勉強になる。また、アクションラーニング関係のビジネス書も多数出ており、何冊か読んでみた。惜しむらくは、小林先生の研修をまだ受けられていないことである。なんとしても直にお話を伺いたいと考えている。

ただ、これが単なる「教えてほしい」ではなく、能動的な学習になっているかはしっかり自分を客観視しなければならないと思っている。


全体的に、生徒の学習意欲を育てる為の技法として研究されているのがわかる。社会学としての背景にも触れられ、リーダーのフォロワーではなく、自ら考え判断し行動する能力を持った市民が必要となると述べられている。

個人的に数年前から考えていることがある。
攻殻機動隊」の世界。
電脳化され、ネットワークに直接アクセスできる人間。劇場版攻殻機動隊SSSにおいて、ある登場人物が自分の娘を学校に送っていくというシーンがある。はたして、この世界の学校で行われている教育とは何か?教師には、知識を教授するという使命はすでに失われているはず。はたして、この子は何をしに学校へ行くのか?人が集まってこそできる活動。それが今後学校に求められる活動になるのか。アクティブラーニングはその解答になるのか。

このままアクティブラーニングが日本の教育会に定着する活動となるのか、かつて存在したグループ活動の一種としての扱いになるのか。当然今はわからないが、系統学習と体験学習をバランスよく両立できる授業技術として確立できるのではないかと感じている。