数学教師、やってます

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上越教育大学教職大学院 サテライト講座 参加

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和歌山県紀美野町立野上小学校でアクティブラーニング講座が行われました。

ようやく、参加できました。

実践報告については、学校をあげて取り組んでおられる様子がよくわかりました。

生徒の学び合いだけでなく、教員間の学び合いも引き起こすのだな、と。

西川先生の著書を読み、今日の講演を聞かせて頂いて、改めて心に響いたことが2つ。

(いや、もっとあるんですけど。大きいのは2つです)

1つは、西川先生の定時制学校時代のお話。

生徒が卒業したり、自分が現場から去った後、生徒間の関係性が崩壊してしまっていた、ということ。

いわゆる、今でもちょいちょい本屋でみる「カリスマ教師」本。

教員と生徒の人間関係をいくら作ってもダメなのだ、ということ。(これは私の意訳です)

今まで、自分も自分と生徒一人一人の人間関係を構築できれば成功だと思い込んでいました。

でも、そうではない、と。

自分がいなくなればなくなってしまう。そんなものは生徒にとって全く大切ではない。

生徒間の人間関係をいかに構築するか。

 

実は、若いころTOSSの研究会に参加したことが1回あります。

(いろいろ感じるところがあって、技術は学ばせていただきましたが、それ以上は参加しませんでした。どうも、メンターとか、カリスマとか、そういうものには昔から胡散臭さを感じてしまう方なので)

その時、関西の中学校をしきっておられた感じの先生が

授業で、自分と生徒の間に細い細い関係の糸を張り巡らせ、切れないように働きかけるのだ。

とおっしゃっておられた。なるほどなあ、と思っていたのです。

が、無理ですわ、そんなこと。むこうからすぐ切るし。あっという間に機内モードに設定しよるので。

ただ、学び合いにある「教師が教えない」という思想は、TOSSで慣れていたので、すんなり受け入れられました。

 

もう1つは、授業の目的設定の仕方。

「内容の理解」を目的に置くと、西川先生がおっしゃられるように授業で倫理的なことを教えることは出来ない。

でも「誰も見捨てない」と設定するとそれが可能になり、また、「内容の理解」も犠牲になっていない。

これは見事だな、と感じています。

あと、スーパーグローバル大学の話はなかなか衝撃でした。

関西大学は選ばれなかったので。

 

正直、参加者の中にはそれほど熱心でない方も見受けられたように感じました。

非難しているのではなく、もったいないなあ、と。



あと、協議会で、「まず読む本を教えて下さい」という質問がありました。

いや、本屋行って読めよ。

もっとも、通勤経路に大阪駅と天王寺駅がある(この間に紀伊國屋が3件、丸善、旭屋、喜久屋と書店が大量にある)自分がいうのは失礼かな、とも思うのですが、でも、今、ちょっと大きな書店なら西川先生をはじめ、小林先生などアクティブラーニングの本はいっぱい出てるので、かたっぱしから読むべきじゃないのかな。ちょっと前の本なら図書館にもあるはずですし。

というか、それが「総合的な学習の時間」や「アクティブラーニング」で求められている力じゃないの?と思った。

そうそう、学び合いも「先生に聞く前にグループで話しろ」って設計されてるじゃないですか。

つい現場でも「いや、読めよ」と言ってしまってことを若干反省しています。