数学教師、やってます

数学教えてます。 毎日いろいろあります。

アクティブ・ラーニング批判

 アクティブ・ラーニングに批判的な意見をいただきました。

 

 話を聞いていて、自分自身が認識できたことがありました。

 自分はアクティブ・ラーニングを授業全体をデザインするシステムだと認識しているということ。それに対して、批判的意見を持っておもられた相手は、アクティブ・ラーニングを授業中のテクニックだと思っておられる、ということ。

 

 アクティブ・ラーニングを進めることで、学習意欲の向上や、自分から物事に取り組む姿勢を育てていくことを期待したいのが自分で、相手は「通常授業より定着度が上がるのか?」とそこを問題にしておられました。

 

 その授業の定着度を上げたいのなら、小林先生が言われるように小テストや宿題や補習で追い回せばいいですよね。

 

 なるほどな、と思いながら聞いていました。

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

 

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

 

 コルベ・カトリック・カレッジの萩原伸郎氏の記事を読んで。

でてきたキャロル・S・ドゥエックさんの著書。

残念ながら、元になった科学的データの掲載された本は翻訳されていない。

こちらはそのエッセンスというか、語り用に書かれた本。

 

まず、レビューにも書かれている人がおられる。

訳者が、あまり知らない人の話がいっぱい載っていた章はまるまる削除しました、とある。

 

 そんなんこっちで判断するっちゅーねん!

 

というか、それを元に調べたりできるだろうが!と思う。

どうしてそんな残念なことをするのかすごく不思議。他に理由があるとしか思えない。

 

とはいえ、2015年に増版されているところをみると、売れているようです。

確かに、生徒を励ますのに使える話がいっぱいある。

 

・・・・けど、この話で本当にそんなにやる気出してやり始めるのかなあ?と思うくらいの真正面からの正論。惜しむらくは、科学的データが一切掲載されていないこと。根拠として使えない。

 

元の本はもちろん英語。

和訳は・・・・されないのだろうなあ。

子どもが蘇る問題解決学習の授業原理―学習指導と生活指導を合体する指導法の魅力

 

子どもが蘇る問題解決学習の授業原理―学習指導と生活指導を合体する指導法の魅力
 

 あまりに「問題解決学習がわからない子を増産した」というTOSSの攻撃が厳しいので、どんなものかを調べるために借りてみた。

・・・・正直、手法がわかりません。

この本はたまたま図書館で見つけて手にとったのですが。

一体全体、問題解決学習って?

いわゆる「マニュアルがない」ってやつ??

 

ただ、デューイの思想を藤井先生が解説してくださってます。残念ながら原典にあたってないので、正しいのかどうかはわかりません。

 

ただ、TOSSが執拗に攻撃している部分をいくつか見つけました。

倒立前転を、皆で励ましながら練習する、というくだりがあります。いわゆる「できなくても、工夫して練習したことが大事な経験」というもの。

「できるようにさせるのが教師の仕事だ!」という立場からすれば、当然批判されてしかりの部分だと思います。

ここは、今になって自分でも意見がまとめられないところです。

倒立前転とかとびばことか、出来るに越したことはない。でも、昔流行った「伊東家」みたいな裏技(というかコツ?)を使って教師の手助けで時間内にできることはいいことです。でも、ああでもない、こうでもない、と考えて練習することも大切な経験だし、学ぶべき課題への取り組み方だと想うのです。

 

はたして、出来ることを目的とするのか、出来るようになるまでの取り組み法んも習得を目的とするのか、ということなのでしょうか?

もっとも、それが「できない子」を生みやすいという側面は否定できないですよね。

 

あと、デューイは子供たちがこちらの設定した段階を踏んで、段階的に目的にたどり着くことはできない、と主張していると書かれてある。人によって到達の方法はバラバラで、こちらがコントロールすることはできない、と。

 

結局、残念ながら具体的な問題解決学習の手法を学ぶことはできませんでした。

 

上越教育大学教職大学院 サテライト講座 参加

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和歌山県紀美野町立野上小学校でアクティブラーニング講座が行われました。

ようやく、参加できました。

実践報告については、学校をあげて取り組んでおられる様子がよくわかりました。

生徒の学び合いだけでなく、教員間の学び合いも引き起こすのだな、と。

西川先生の著書を読み、今日の講演を聞かせて頂いて、改めて心に響いたことが2つ。

(いや、もっとあるんですけど。大きいのは2つです)

1つは、西川先生の定時制学校時代のお話。

生徒が卒業したり、自分が現場から去った後、生徒間の関係性が崩壊してしまっていた、ということ。

いわゆる、今でもちょいちょい本屋でみる「カリスマ教師」本。

教員と生徒の人間関係をいくら作ってもダメなのだ、ということ。(これは私の意訳です)

今まで、自分も自分と生徒一人一人の人間関係を構築できれば成功だと思い込んでいました。

でも、そうではない、と。

自分がいなくなればなくなってしまう。そんなものは生徒にとって全く大切ではない。

生徒間の人間関係をいかに構築するか。

 

実は、若いころTOSSの研究会に参加したことが1回あります。

(いろいろ感じるところがあって、技術は学ばせていただきましたが、それ以上は参加しませんでした。どうも、メンターとか、カリスマとか、そういうものには昔から胡散臭さを感じてしまう方なので)

その時、関西の中学校をしきっておられた感じの先生が

授業で、自分と生徒の間に細い細い関係の糸を張り巡らせ、切れないように働きかけるのだ。

とおっしゃっておられた。なるほどなあ、と思っていたのです。

が、無理ですわ、そんなこと。むこうからすぐ切るし。あっという間に機内モードに設定しよるので。

ただ、学び合いにある「教師が教えない」という思想は、TOSSで慣れていたので、すんなり受け入れられました。

 

もう1つは、授業の目的設定の仕方。

「内容の理解」を目的に置くと、西川先生がおっしゃられるように授業で倫理的なことを教えることは出来ない。

でも「誰も見捨てない」と設定するとそれが可能になり、また、「内容の理解」も犠牲になっていない。

これは見事だな、と感じています。

あと、スーパーグローバル大学の話はなかなか衝撃でした。

関西大学は選ばれなかったので。

 

正直、参加者の中にはそれほど熱心でない方も見受けられたように感じました。

非難しているのではなく、もったいないなあ、と。



あと、協議会で、「まず読む本を教えて下さい」という質問がありました。

いや、本屋行って読めよ。

もっとも、通勤経路に大阪駅と天王寺駅がある(この間に紀伊國屋が3件、丸善、旭屋、喜久屋と書店が大量にある)自分がいうのは失礼かな、とも思うのですが、でも、今、ちょっと大きな書店なら西川先生をはじめ、小林先生などアクティブラーニングの本はいっぱい出てるので、かたっぱしから読むべきじゃないのかな。ちょっと前の本なら図書館にもあるはずですし。

というか、それが「総合的な学習の時間」や「アクティブラーニング」で求められている力じゃないの?と思った。

そうそう、学び合いも「先生に聞く前にグループで話しろ」って設計されてるじゃないですか。

つい現場でも「いや、読めよ」と言ってしまってことを若干反省しています。

NMC Horizon Report2015

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EdTech   Education Technology   e-learning

過去 CAE  Computer Aided Education

 

SHORT-TERM IMPACT

 Blended Learning  一学期のある科目の教育プログラムの中に一部だけ

          でもオンライン教育の要素を取り入れた教育方法

         (文科省

 Growing Focus on Measuring Learning

         学修評価への集中の増加?(評価?測る?)

 Proliferation of Open Education Resources

         オープンな教育リソースの激増

 Advancing Cultures of Change and Innovation

         変化と革新の文化を進める

 Increasing Cross-Institution Collaboration

         連携の増加  複数学年?いろいろな機関?

 Ipmroving Digital Literacy

         デジタルリテラシーの改善

 complex thinking ?

 Wicked     悪い

 Competing Models of Education  教育の競合モデル ?

 Rewards for teaching 教育のための報酬

 Makerspaces  Hackerspaces Hacklab 

         コンピューターやテクノロジー、科学、デジタルアートまたは

         エレクトロニックアートなどに対して共通に興味を持つ人々が

         出会い、ソサエティを形成したりコラボレーションしたりする

         ことができる場所(wiki)

 Adaptive Learning Technology(適応学習)

         educational method which uses computers as interactive teaching

                                 devices, and to orchestrate the allocation of human and mediated

                                 resources according to the unique needs of each learner. 

                                 各学習者の固有のニーズに応じて、ヒト及び媒介資源の配分を

         調整するために対話型の授業デバイスとしてコンピュータを使用

         し、教育方法です。(google翻訳

 

限界だわ・・・・

キャロル ドウェック

www.ted.com

(一部引用)

「まだ」という力 (The power of yet)

 

生徒は「未合格(not yet)」という成績を手にすると耳にした

 

「不合格」なら自分は「ダメだ」「もうどうしようもない」と思います。

ですが 手にした成績が「未合格」だったら自分は学習曲線上にいるとわかりますよね

 

驚くほど前向きな反応を示した子達がいました。こんなことを言ったんです。

「挑戦大好き!」「触ることが何か増えたら良いなって思ったんだよ!」

彼らには「能力」は開発できる!と解っていたのです。

 

「成長型マインドセット」

 

一方 他の生徒達は「惨め」「最悪だ」という気分を味わいました。

彼らのより「停滞した」マインドセットに依れば知能は評価の対象であり自ら”失敗”の烙印を押したのです。「まだ」のちからに委ねる代わりに「今」の状態に囚われてしまったのです。

 

停滞型の生徒たちは「テストで1回失敗したらー」もっと勉強する代わりに今度はたぶん・・・・カンニングする」と話しました。別の研究では一度の失敗の後、自分たちより出来が悪かった「誰か」を探しました。

 

そして、いずれの研究でも難しい問題を避けて通りました。

 

エラーから逃げるのです。何も対処しません。

 

成長型マインドセット様々な能力は開発されうる」という発想の生徒たちです。彼らは極めて真剣に取り組みます。

成長型の子はじっくり取り組みます。この子達はエラー処理をしているのです。彼らは間違いから学習しそれを修正します。

 

「まだこれから」よりも「今この時」の為に育てているのでしょうか。

 

この絶え間ない短期的承認(賞賛獲得欲求)を将来の生活まで抱え続けるのでしょうか。

 

どうすれば「まだ」と結び付けられるか「私達がやれる事」を。

まずなにより賢く褒める事。褒めるのは知能や才能ではありませんよ。それは失敗でした。

そうではなく取り組んでいるプロセスを褒めるんです。彼らの努力やり方集中力忍耐力進歩

 

「まだ」や「未合格」という言葉だけで子供たちが「大いなる自信」を身につけることを、「やりぬく力」の源である未来へ続く道が開けることを。

 

ある研究調査で我々は生徒にこう教えました。何か新しいことや難しいことを学習しようとコンフォートゾーン(脳が慣れ親しんだ現状)を押しのける度に脳内のニューロンが新しく強い結合を作れる。そうすると、段々君たちの頭がもっと良くなっていくよ。

 

この研究で、この成長型マインドセットを教えられなかった生徒たちは中学進級で勉強が難しくなると学校の成績が低下し続けました。ですが、事前に「脳のしくみ」を教えられた生徒たちは、急に成績が伸びました。

 

教育者が”「まだ」づくし”の成長型マインドセット授業を施すと「平等」が出現します。

 

努力と困難こそニューロンが新たな連結を、より強い結合を生み出している時間、彼らが正に「賢くなっていく時」なのです。

 

様々な「能力」が開発・育成できるものだとわかった以上、これは子供たちの「全ての!」子供たちの「基本的人権」なのです。

真に成長可能な「場」に生きることが、「まだ」に満ち溢れた世界に生きることが。

 

 

中央教育審議会答申他 1

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  • わかる!できる!アクティブ・ラーニングに掲載されているものの原典